韓国・高千穂峰(2006年11月3~5日)
韓国岳・高千穂峰(11月3日~5日)
10月30日えびの市の週間天気予報を見ると、三日とも晴れだ。
「えびの高原~韓国岳~新燃岳~高千穂峰」縦走のチャンス。
えびの高原に宿を探すが、すべて満室。
地図を見ると、大浪池と韓国岳の鞍部に韓国岳避難小屋がある。
インターネットで情報を探ってみると、「宿泊に適する。」という記事があった。
霧島神宮近辺に宿を探すがやっぱり一杯。
地図には高千穂山頂小屋が載っているが「休業中」となっている。
インターネットで検索してみると「季節によっては営業しているらしい。」との情報に出くわした。
そこに載っていた番号に電話をすると。
「080-1710-9293の林さんに聞いてみて下さい。」と教えてくれた。
早速電話する。
「いいですよー。ただし、寝袋・食事・水は持って来て下さいねー。
当日、近くに来たら電話を入れて下さいねー。」
語尾を伸ばす言い方で快い返事『やったぞ!これで行ける。』
半分観光旅行で考えていたが、登山の気分に切り替わった。
11月2日
大阪南港18時50分発のフェリーに乗る。今年三度目。慣れたもんだ。
11月3日(快晴)
別府発6時47分の「にちりん1号」で宮崎へ。
宮崎では、食料の買い込みと昼食(当然ラーメンを含む)。
宮崎発11時51分の「きりしま7号」で霧島神宮駅に降り立ったのは13時13分。
バスは14時11分なので、水の用意をするつもりでいた。
駅舎から出てみると、バスが止まっている。『????』
「これは、乗合いバスですよね?」
「そうですよ。」
乗り込むとすぐ発車した。
いわさきホテルには予定より1時間早く到着。
おかげで〔「えびの高原」→「韓国岳避難小屋」〕の予定を〔「大浪池」→「韓国岳避難小屋」〕に変更することができた。
ホテルでタクシーを呼んでもらう。「5分後に来ます。」と言うことなので、売店で水を購入。
ついでにトイレによると、重厚な木製ドアの上に、男性用は「きじうち」、女性用は「はなつみ」と表示されていた。高級ホテルにこの表現、ギャップがあって面白い?(女性は常に「花摘み」だよな、しかし、男性はしゃがむこともあれば、立っていることもあるんだけど!)
ロビーに座っていると「タクシーが参りました。」と呼びに来てくれた。
タクシーのドアの横で二人の男性が立っており、「ありがとうございました。」とお礼を言う。
タクシーが動き出す。
二人が深々と頭をさげて見送ってくれた。『水を買っただけなのに。』
「大浪池登山口まで御願いします。」
「お客さん、登山ですね。虫よけ持って来てますか。」
「えっ!臭いますか?」
「いや、これは失礼しました。」
鹿児島弁だからなんだかうまく通じていない。
「虫刺されの薬は持って来てるんですが、先ほどチューブのふたが開いてたもんですから、こぼれて、ポーチの中が薬臭くなってるんですよ。それが臭ったのかと思いましてね。」
「そういうことでしたか。霧島の山には、ダニが多くてですね、木に触ったときなんかに服に乗り移って来て、後になって噛むんですよ。……
大浪池は人が多いですよ。まぁ、この時間なら、皆降りて来ますがね。」
「実は、35年前に来たことがあるんですが、そのときは小林からバスに乗ってえびの高原に入りました。今回もそうしたかったんですが、そのバスが廃止されてましてね…」
「そうですよ、最近はバスに乗る人が少なくなってしまって、11月8日からも、またダイヤ改定で本数を減らすんですよ。」
『それか。さっき乗ったバスが時刻表に載ってなかった理由は。』
降車のとき、「帰りに必要だったら使ってください。」と言って、携帯番号を書いた名刺をくれた。
道の両側に、列をなして駐車している登山口(1070m)をスタートしたのは14時20分だった。
石畳のりっぱな道を、老若男女がぞろぞろ下ってくる。
皆「今日は」と挨拶をしながら通り過ぎて行く。
石畳の道が普通の山道に変わる頃から、下山者がぐっと少なくなった。
14時55分大浪池に着く(1298m)。人はまばらになっていた。
紅葉に囲まれた青い湖面の向こうに、韓国岳がでんと座っている。(写真01)
「絵葉書にどうぞ。」と言っているような景色だ。
明日のメールのために携帯写真も一枚。
今夜泊まる韓国岳避難小屋まで、コースタイムで50分残すだけ、時間はたっぷりある。
風がほとんどない中、日向ぼっこ気分で、のんびり景色を楽しむことができた。
汗を吸ったシャツもいつしか乾いた。
避難小屋への道は最高地点(1411m)への登りで始まる。
大浪池周回路の東半分が小屋へのルートだ。
途中、大浪池のビューポイントが点在している。
どの角度になっても、深みのある空より青い水面を見せている。(写真02)
最高地点を過ぎると、新燃岳や高千穂峰が見え始める。(写真03)
やがて、下り始めた道が平坦になると、避難小屋(1330m)に到着した。(写真04)
清掃が行き届いた板敷きで、小屋はまったく傷んでいない。
15人は楽に泊まれる広さを、今日は独占だ。
トイレのない(だから宿泊者がいないのか?)ことを除けば言うことなし。
西日がアルミサッシの窓に当たっているおかげで、中は暖かい。
まずマットを敷き、夕食の準備をはじめる。
と言っても、宮崎で弁当を買って来たから、湯を沸かすだけだ。
窓に日が射している 明るい内に夕食を終えた。
明日のために、韓国岳へのルートを確認し、辺りを少し歩き回る。
鞍部とはいえ、結構広い平地になっている。
十三夜(くらい)の月が明るさを増すと、寒さが忍び寄って来た。
暖かい小屋に戻り、シラフに足を突っ込む。
壁に背をもたせ、焼酎片手に、一人の時のために持ってきた本を読み始めた。
やがて、気持良い眠気がやって来る。
ヘッドランプを外し、ろうそくの火を吹き消してシラフにもぐり込んだ。
11月4日(晴)
二度目に眼を覚ましたとき、時計を見ると4時40分だ。
外に出て見ると、月は既に沈んで星空になっていた。
笹をかき分けると、パタパタと何かが動く。
『こうもりか?』ヘッドランプで照らしてみると、5センチに満たない小さな鳥が、笹の茎に止まっている。
眼が眩んだらしく、手で捕まえることができた。
数秒の後、手から飛び立って行った。
朝食を済ませ、荷造りをして、韓国岳(1700m)を目指したのは6時半を少しまわっていた。
登山道はどこまでも整備されており、朝露に触れることもない。
少し登ったところでカッパを脱いだ。
今日は、最後に高千穂峰への登り(標高差600m)が控えている。
パワー温存の意味でゆっくり足を繰り出す。
登るに連れて、背後の視界が拓けていく。(写真05)
7時半、頂上に着いた。
35年前、SL狂人の大川と二人で九州旅行をした。
小林駅で大川の乗る列車に合流する約束をして、彼は肥薩線・吉都線のSL撮影へ、私は韓国岳へとそれぞれの趣味に向かった。
韓国岳に登ると大浪池が見える。という程度の予備知識。
登って見ると、眼前に繰り広げられた新燃岳から高千穂峰への神秘的な景観。
バス発車時刻まで、数時間の余裕がある。
左手前方に大幡池が青く丸く見えていた。
『せめて、あそこまでピストンしよう。』空身で韓国岳を駆けるように下り、また、韓国岳を駆けるように登った。
『今度来たときは高千穂峰まで歩こう。』
との思いを胸に、えびの高原へ下ったことを想い出す。
1971年11月に眺めたあの厳かな景観があった。
ただ、今回の高千穂峰は雲海に浮かんでいる。(写真06)
『ニニギノミコトが地上の国を治めるため、天界より高千穂峰に降り立った。』
天孫降臨の神話が本当にあったかのように思わせる雰囲気が漂う。(写真07)
うらやましがらせメールを打つために、携帯写真を撮った。
頂上の北側は火口。北西方向、火口壁の向こうに白紫池と御池が並んで見えている。(写真08)
眼下には大浪池が大きく見えている。(写真09)
大浪池の水面が二つに割れ、ヘリコプターが地下の秘密基地に下りて行く。
『あれは、007ジェームスボンドシリーズの何だったかな?』
8時になったので、高千穂峰頂上小屋の林さんに電話をし、16時前には行く旨伝える。
これで、電池が切れても問題が起こらなくなった。
昨日と今日の写真2枚を貼付して、家族と野協のメンバーにうらやましがらせメールを飛ばす。
『やっぱり。』携帯の充電メモリが一つ減った。
遠方に目をやると、雲海にかろうじて頂上をのぞかせている櫻島から噴煙があがった。(写真10)
8時半、韓国岳・高千穂峰の縦走開始。
下り始めると、雲海に変化が始まっていた。
高千穂峰北側の雲海は消滅。南側からは雲が湧き上がり、北側に押出してきている。
『これから天気は下り坂か?』ちょっと不安がよぎる。
下り始めると、道は深くえぐれて細くなり、両側からミヤマキリシマの小枝がザックに絡む。
時には、雨に浸食されて涸れた沢に変身した旧道に、木製の階段が根こそぎ横たわっていたりする。
35年前、駆け下った筈の斜面は変貌していた。
琵琶池の見えるあたりからまばらな潅木の中に入りほっとする。(鞍部:1320m)
獅子戸岳への登りになると、またもやミヤマキリシマに置き換わった。
振返ると、韓国岳がお椀を伏せたように丸みを帯びて穏かだった。(写真11)
ミヤマキリシマに悩まされつつ獅子戸岳(1428m)頂上に到着。
休憩にザックをおろしてみると、ザックのサイドに付けていた銀色のマットは傷だらけになっていた。
獅子戸岳から新燃岳への鞍部(1312m)にかけては、斜度はきついがミヤマキリシマがなく歩きやすい。
新燃岳の登りに入って山容は一変した。
低いススキに覆われた緩やかな斜面だ。
ちょいと後を振返る(写真12)
あっと言う間に火口壁の上に(1395m)に出る。
そこからは、まん丸なお鉢の東側を三分の一周巡ると新燃岳の頂上(1421m)だ。
右方は緑色の火口湖と黒い火口壁。(写真13)
左前方は穏かなススキのスロープの果てに急峻な高千穂峰。
ハミングしたくなる道が続く。
10時30分新燃岳最高点、ピークと言えない頂上には腰掛るのに手頃な岩が散在していた。
北方は、眼下に火口湖、火口壁の上に韓国岳。(写真14)
南方は、白く霞む高千穂峰(写真15)
その右手、隙間なく繁茂した、背丈の低いススキの原が緩やかに下って行く、そして、緩やかに上がる。そこは、柔和に波打つ中岳山頂だ。(写真16)
視界の中は、ススキのじゅうたんが覆い尽くしている。
なんという伸びやかな眺め、迷うことなく大休憩に決めた。
そよ吹く南風と太陽を汗ばんだ背に受けつつ、お鉢・韓国岳に対峙して岩に腰を下ろす。(写真17)
開放感に浸りながらのおやつ。その甘さのうまいこと。
瞬く間に30分が過ぎて行った。
昼食を中岳でとることにして、早くも乾いた背中にザックを担ぐ。
景観保護のためか、下山地点から立派な木道風の板張りの階段が続いている。
コトコトと板を鳴らして100m下ると鞍部に至り、20m登ると草原のような中岳山上の一端に出てしまう(最高地点:1350m)。
膝ほどもない背丈の低いススキが広々と波打っていた。
高千穂峰にかかる雲も少なくなってきている。(写真18)
火口の見える草原に腰をおろし、ピクニック気分で昼食だ。
後には新燃岳、その上に韓国岳がちょっぴり頭を出している。(写真19)
すべて曲線の世界だ。
火口といっても風化が進み、草原の窪地のようなものだ。(写真20)
12時過ぎ下りに入る。
始めはぐんぐん高度を下げ、やがて高原状に変わる。
周囲には潅木が増え、ススキの背丈も高くなる。
高千穂峰も横からみるようになり、容姿は変わるし、大きくなってきた。(写真21)
唐突な感じで分岐点にでる。
「もみじコース」「つつじコース」がある、自然探勝路に入ると同時に散策する人が多くなった。
だらだら下りがしばらく続いた後、高千穂河原(970m)に到着。
高千穂噴火で焼失した霧島神宮址のある観光地だ。
水を補給した後、高千穂峰(1574m)への登りに備えてしばらく休憩する。
鳥居の向こうには、高千穂御鉢の稜線が吊り尾根のように見えている。(写真22)
鳥居をくぐり、宮址までぶらぶら歩いた。(写真23)
13時半、本日最後の登りを開始。
石畳の階段に始まり、やがて樹林のなかの山道に変わる。
樹林の切れたところから、御鉢本体の急登が始まった。
溶岩が風化して小さく砕け、ザクザクして歩きにくい。
砕ける前の岩や大きい石を選んで足を運ぶ。
滴る汗を拭き拭き1時間ガンバルと御鉢の縁に出た。
御鉢をのぞくと、底に石を並べて字が書いてある。(写真24)
火口壁からは所々噴気が立ち昇っているではないか。
『遊び心に命を賭けたか!』
背後には、中岳・新燃岳・韓国岳と越えてきた山が並んでいる。(写真25)
晴れてきたようだが、やや白ずんで見えた。
御鉢を半周した後、少し下って、高千穂本峰への登りが始まる。
残すは166mの登りであるが、少し登ると、砕けた溶岩はさらに細かく、さらに多くなった。
出した足はズズッともどる、込めた力は逃げていく。
設置された丸木の段々は、長いボルトを見せて転がっている。
『疲れたー!』気力が失せかけたころ頂上に着いた。
頂上からの眺めをちょっとだけ観賞して、小屋に向かう。
「今日は、今朝、韓国岳から電話した者ですが。」
「ようこそ。」
私より大分年配の林さんと犬が出てきた。
今日の宿泊者は私一人だと言う。
ザックを置いて外に出る。
石に腰掛、ぼんやり今日のコースを眺めていると、林さんが犬を連れてやってきた。
御鉢の見えるところへ移動する。
「まだ登って来るのが4人いるねー。登ってくる人間がいる限り旗は降ろせないのよ。」
「へー、あの旗は登山者への応援旗ですか?」
「山小屋が営業している証でもあるよ。」
突然、林さんの携帯がなった。
相手も地元の人らしく、何を話しているのかさっぱりわからない。
「今、池田さんが御鉢に着いたとこで電話してきた。今夜泊まると言ってた。」
「何人ですか?」
「聞かなかった。」
「今登って来ている4人も『泊めてくれ』と言ったら、人数増えますよ。」
林さんと共に御鉢に眼をやる。
西に傾いた太陽で人影がよくわからなくなっていた。
そうしている内に、4人が到着。
泊まらずに下ると言った。
高千穂峰の影が鋭角三角形をして東に伸びていく。
「あの影の先は、シーガイヤまで届くんだよ。」と教えてくれた。
4時半、池田さんが到着、2人連れだった。
林さんは旗を降ろし始める。(写真26)
沈む夕日を眺めたあと、全員小屋に入った。
林さんが、「山伏が持ってきたものだ。」といって、酒の一合パックを各人に、するめを2枚出して来た。
おはらいを受けた御利益のあるものだそうだ。
ランプの灯りの下、ストーブを囲み、するめをあぶりながら酒盛りがスタートした。
池田さんは都城(宮崎県だが薩摩言葉の地域)の人で、先々代からの常連らしく、話が弾む。
しかし、薩摩言葉はほとんどわからなかった。
11月5日(快晴)
5時、熟睡の後の心地よい目覚めだった。
カメラを持って外へ出た。
林さんもやってきて、「こんな天気は滅多にない。ここは名前のとおり霧のかかることが多い。ついてるね。」と言う。
6時半を回ったところで御来光が始まった。(写真27)
太陽が顔を出し切った後、北側に移る。
影高千穂峰から始まって、中岳・新燃岳・韓国岳・甑(こしき)岳・夷守(ひなもり)岳と霧島連山が朝日に映えていた。(写真28)
荷造りをして、7時20分3人に別れを告げた。
下りは御鉢を見て始まる。(写真29)
くだけた溶岩の小石はクッションになるが、靴に小石が入ってくる。
スパッツを着けるべきだった。
御鉢に着いたところで、コースと逆行し、左へ少し回って見る。
御鉢・中岳・新燃岳・韓国岳が重なるように見えた。(写真30)
御鉢を過ぎるともう見るべきものはない。
ひたすら下る。
8時半、高千穂河原に到着した。
大浪池登山口でもらった名刺が役に立った。
電話をすると。
「あの時のお客さんですか、ありがとうございます。30分で行きますから。」
『えっ!30分。』と思ったが、9時32分の霧島神宮発の「きりしま4号」に間に合えば問題ない。
8時55分タクシーはやって来た。
「お客さんは、どちらから来られたんですか?」
「大阪の堺です。」
「フェリーですか?」
「そう、今日も別府から大阪へフェリーです。」
「えっ!宮崎じゃないんですか?」
「えっ!宮崎からフェリーがあるんですか?」
「ええ、宮崎カーフェリーが大阪南港へ出てますよ。」
勉強不足だった。
9時20分霧島神宮駅に着いた。
列車は駅を出ると山間を行く。
20分余り走ると山間を抜け、都城盆地に入る。
左の車窓から高千穂峰が見えた。
地表に澱む不透明な空気の上に、高千穂峰上部が浮かぶ。
その黒褐色の姿は、両翼を広げ、天空に飛翔する鷹のようだ。
家並みの上に、田園の上に、林や川の上に、どこまでも見え続けていた。
(追伸)
宮崎で「にちりん12号」に乗り継ぎ、別府には14時19分到着した。
豊後竹田で味をしめた「楽チャリ」に乗って、思い出の地獄巡りをする予定だ。
窓口へ行って楽チャリをたのむ。
「今日は、すべて出払って、自転車は1台もありません。」
つれない返事が返ってきた。
バスで地獄巡り地域に向かう。
地獄ひとつひとつの入場料は「400円」一番印象に残っている海地獄だけゆっくり見ることにした。
35年前、家内と結婚する一年前、博多にいた長兄に車を借りて、阿蘇・別府と巡ったとき、
海地獄の前で(写真31)写真を撮った。
別府へ戻り、軽い夕食(とんこつラーメン)をとった。
別府港で乗船手続きをしていると、横から名前を呼ぶ人がいる。
なんと、森下さん、枯木さん、藤山君三人がにやにやしながら立っていた。
仕入れを済ませ、早々に乗船して窓際のテーブルを確保。
出港一時間前から盛り上がったのである。
10月30日えびの市の週間天気予報を見ると、三日とも晴れだ。
「えびの高原~韓国岳~新燃岳~高千穂峰」縦走のチャンス。
えびの高原に宿を探すが、すべて満室。
地図を見ると、大浪池と韓国岳の鞍部に韓国岳避難小屋がある。
インターネットで情報を探ってみると、「宿泊に適する。」という記事があった。
霧島神宮近辺に宿を探すがやっぱり一杯。
地図には高千穂山頂小屋が載っているが「休業中」となっている。
インターネットで検索してみると「季節によっては営業しているらしい。」との情報に出くわした。
そこに載っていた番号に電話をすると。
「080-1710-9293の林さんに聞いてみて下さい。」と教えてくれた。
早速電話する。
「いいですよー。ただし、寝袋・食事・水は持って来て下さいねー。
当日、近くに来たら電話を入れて下さいねー。」
語尾を伸ばす言い方で快い返事『やったぞ!これで行ける。』
半分観光旅行で考えていたが、登山の気分に切り替わった。
11月2日
大阪南港18時50分発のフェリーに乗る。今年三度目。慣れたもんだ。
11月3日(快晴)
別府発6時47分の「にちりん1号」で宮崎へ。
宮崎では、食料の買い込みと昼食(当然ラーメンを含む)。
宮崎発11時51分の「きりしま7号」で霧島神宮駅に降り立ったのは13時13分。
バスは14時11分なので、水の用意をするつもりでいた。
駅舎から出てみると、バスが止まっている。『????』
「これは、乗合いバスですよね?」
「そうですよ。」
乗り込むとすぐ発車した。
いわさきホテルには予定より1時間早く到着。
おかげで〔「えびの高原」→「韓国岳避難小屋」〕の予定を〔「大浪池」→「韓国岳避難小屋」〕に変更することができた。
ホテルでタクシーを呼んでもらう。「5分後に来ます。」と言うことなので、売店で水を購入。
ついでにトイレによると、重厚な木製ドアの上に、男性用は「きじうち」、女性用は「はなつみ」と表示されていた。高級ホテルにこの表現、ギャップがあって面白い?(女性は常に「花摘み」だよな、しかし、男性はしゃがむこともあれば、立っていることもあるんだけど!)
ロビーに座っていると「タクシーが参りました。」と呼びに来てくれた。
タクシーのドアの横で二人の男性が立っており、「ありがとうございました。」とお礼を言う。
タクシーが動き出す。
二人が深々と頭をさげて見送ってくれた。『水を買っただけなのに。』
「大浪池登山口まで御願いします。」
「お客さん、登山ですね。虫よけ持って来てますか。」
「えっ!臭いますか?」
「いや、これは失礼しました。」
鹿児島弁だからなんだかうまく通じていない。
「虫刺されの薬は持って来てるんですが、先ほどチューブのふたが開いてたもんですから、こぼれて、ポーチの中が薬臭くなってるんですよ。それが臭ったのかと思いましてね。」
「そういうことでしたか。霧島の山には、ダニが多くてですね、木に触ったときなんかに服に乗り移って来て、後になって噛むんですよ。……
大浪池は人が多いですよ。まぁ、この時間なら、皆降りて来ますがね。」
「実は、35年前に来たことがあるんですが、そのときは小林からバスに乗ってえびの高原に入りました。今回もそうしたかったんですが、そのバスが廃止されてましてね…」
「そうですよ、最近はバスに乗る人が少なくなってしまって、11月8日からも、またダイヤ改定で本数を減らすんですよ。」
『それか。さっき乗ったバスが時刻表に載ってなかった理由は。』
降車のとき、「帰りに必要だったら使ってください。」と言って、携帯番号を書いた名刺をくれた。
道の両側に、列をなして駐車している登山口(1070m)をスタートしたのは14時20分だった。
石畳のりっぱな道を、老若男女がぞろぞろ下ってくる。
皆「今日は」と挨拶をしながら通り過ぎて行く。
石畳の道が普通の山道に変わる頃から、下山者がぐっと少なくなった。
14時55分大浪池に着く(1298m)。人はまばらになっていた。
紅葉に囲まれた青い湖面の向こうに、韓国岳がでんと座っている。(写真01)
「絵葉書にどうぞ。」と言っているような景色だ。
明日のメールのために携帯写真も一枚。
今夜泊まる韓国岳避難小屋まで、コースタイムで50分残すだけ、時間はたっぷりある。
風がほとんどない中、日向ぼっこ気分で、のんびり景色を楽しむことができた。
汗を吸ったシャツもいつしか乾いた。
避難小屋への道は最高地点(1411m)への登りで始まる。
大浪池周回路の東半分が小屋へのルートだ。
途中、大浪池のビューポイントが点在している。
どの角度になっても、深みのある空より青い水面を見せている。(写真02)
最高地点を過ぎると、新燃岳や高千穂峰が見え始める。(写真03)
やがて、下り始めた道が平坦になると、避難小屋(1330m)に到着した。(写真04)
清掃が行き届いた板敷きで、小屋はまったく傷んでいない。
15人は楽に泊まれる広さを、今日は独占だ。
トイレのない(だから宿泊者がいないのか?)ことを除けば言うことなし。
西日がアルミサッシの窓に当たっているおかげで、中は暖かい。
まずマットを敷き、夕食の準備をはじめる。
と言っても、宮崎で弁当を買って来たから、湯を沸かすだけだ。
窓に日が射している 明るい内に夕食を終えた。
明日のために、韓国岳へのルートを確認し、辺りを少し歩き回る。
鞍部とはいえ、結構広い平地になっている。
十三夜(くらい)の月が明るさを増すと、寒さが忍び寄って来た。
暖かい小屋に戻り、シラフに足を突っ込む。
壁に背をもたせ、焼酎片手に、一人の時のために持ってきた本を読み始めた。
やがて、気持良い眠気がやって来る。
ヘッドランプを外し、ろうそくの火を吹き消してシラフにもぐり込んだ。
11月4日(晴)
二度目に眼を覚ましたとき、時計を見ると4時40分だ。
外に出て見ると、月は既に沈んで星空になっていた。
笹をかき分けると、パタパタと何かが動く。
『こうもりか?』ヘッドランプで照らしてみると、5センチに満たない小さな鳥が、笹の茎に止まっている。
眼が眩んだらしく、手で捕まえることができた。
数秒の後、手から飛び立って行った。
朝食を済ませ、荷造りをして、韓国岳(1700m)を目指したのは6時半を少しまわっていた。
登山道はどこまでも整備されており、朝露に触れることもない。
少し登ったところでカッパを脱いだ。
今日は、最後に高千穂峰への登り(標高差600m)が控えている。
パワー温存の意味でゆっくり足を繰り出す。
登るに連れて、背後の視界が拓けていく。(写真05)
7時半、頂上に着いた。
35年前、SL狂人の大川と二人で九州旅行をした。
小林駅で大川の乗る列車に合流する約束をして、彼は肥薩線・吉都線のSL撮影へ、私は韓国岳へとそれぞれの趣味に向かった。
韓国岳に登ると大浪池が見える。という程度の予備知識。
登って見ると、眼前に繰り広げられた新燃岳から高千穂峰への神秘的な景観。
バス発車時刻まで、数時間の余裕がある。
左手前方に大幡池が青く丸く見えていた。
『せめて、あそこまでピストンしよう。』空身で韓国岳を駆けるように下り、また、韓国岳を駆けるように登った。
『今度来たときは高千穂峰まで歩こう。』
との思いを胸に、えびの高原へ下ったことを想い出す。
1971年11月に眺めたあの厳かな景観があった。
ただ、今回の高千穂峰は雲海に浮かんでいる。(写真06)
『ニニギノミコトが地上の国を治めるため、天界より高千穂峰に降り立った。』
天孫降臨の神話が本当にあったかのように思わせる雰囲気が漂う。(写真07)
うらやましがらせメールを打つために、携帯写真を撮った。
頂上の北側は火口。北西方向、火口壁の向こうに白紫池と御池が並んで見えている。(写真08)
眼下には大浪池が大きく見えている。(写真09)
大浪池の水面が二つに割れ、ヘリコプターが地下の秘密基地に下りて行く。
『あれは、007ジェームスボンドシリーズの何だったかな?』
8時になったので、高千穂峰頂上小屋の林さんに電話をし、16時前には行く旨伝える。
これで、電池が切れても問題が起こらなくなった。
昨日と今日の写真2枚を貼付して、家族と野協のメンバーにうらやましがらせメールを飛ばす。
『やっぱり。』携帯の充電メモリが一つ減った。
遠方に目をやると、雲海にかろうじて頂上をのぞかせている櫻島から噴煙があがった。(写真10)
8時半、韓国岳・高千穂峰の縦走開始。
下り始めると、雲海に変化が始まっていた。
高千穂峰北側の雲海は消滅。南側からは雲が湧き上がり、北側に押出してきている。
『これから天気は下り坂か?』ちょっと不安がよぎる。
下り始めると、道は深くえぐれて細くなり、両側からミヤマキリシマの小枝がザックに絡む。
時には、雨に浸食されて涸れた沢に変身した旧道に、木製の階段が根こそぎ横たわっていたりする。
35年前、駆け下った筈の斜面は変貌していた。
琵琶池の見えるあたりからまばらな潅木の中に入りほっとする。(鞍部:1320m)
獅子戸岳への登りになると、またもやミヤマキリシマに置き換わった。
振返ると、韓国岳がお椀を伏せたように丸みを帯びて穏かだった。(写真11)
ミヤマキリシマに悩まされつつ獅子戸岳(1428m)頂上に到着。
休憩にザックをおろしてみると、ザックのサイドに付けていた銀色のマットは傷だらけになっていた。
獅子戸岳から新燃岳への鞍部(1312m)にかけては、斜度はきついがミヤマキリシマがなく歩きやすい。
新燃岳の登りに入って山容は一変した。
低いススキに覆われた緩やかな斜面だ。
ちょいと後を振返る(写真12)
あっと言う間に火口壁の上に(1395m)に出る。
そこからは、まん丸なお鉢の東側を三分の一周巡ると新燃岳の頂上(1421m)だ。
右方は緑色の火口湖と黒い火口壁。(写真13)
左前方は穏かなススキのスロープの果てに急峻な高千穂峰。
ハミングしたくなる道が続く。
10時30分新燃岳最高点、ピークと言えない頂上には腰掛るのに手頃な岩が散在していた。
北方は、眼下に火口湖、火口壁の上に韓国岳。(写真14)
南方は、白く霞む高千穂峰(写真15)
その右手、隙間なく繁茂した、背丈の低いススキの原が緩やかに下って行く、そして、緩やかに上がる。そこは、柔和に波打つ中岳山頂だ。(写真16)
視界の中は、ススキのじゅうたんが覆い尽くしている。
なんという伸びやかな眺め、迷うことなく大休憩に決めた。
そよ吹く南風と太陽を汗ばんだ背に受けつつ、お鉢・韓国岳に対峙して岩に腰を下ろす。(写真17)
開放感に浸りながらのおやつ。その甘さのうまいこと。
瞬く間に30分が過ぎて行った。
昼食を中岳でとることにして、早くも乾いた背中にザックを担ぐ。
景観保護のためか、下山地点から立派な木道風の板張りの階段が続いている。
コトコトと板を鳴らして100m下ると鞍部に至り、20m登ると草原のような中岳山上の一端に出てしまう(最高地点:1350m)。
膝ほどもない背丈の低いススキが広々と波打っていた。
高千穂峰にかかる雲も少なくなってきている。(写真18)
火口の見える草原に腰をおろし、ピクニック気分で昼食だ。
後には新燃岳、その上に韓国岳がちょっぴり頭を出している。(写真19)
すべて曲線の世界だ。
火口といっても風化が進み、草原の窪地のようなものだ。(写真20)
12時過ぎ下りに入る。
始めはぐんぐん高度を下げ、やがて高原状に変わる。
周囲には潅木が増え、ススキの背丈も高くなる。
高千穂峰も横からみるようになり、容姿は変わるし、大きくなってきた。(写真21)
唐突な感じで分岐点にでる。
「もみじコース」「つつじコース」がある、自然探勝路に入ると同時に散策する人が多くなった。
だらだら下りがしばらく続いた後、高千穂河原(970m)に到着。
高千穂噴火で焼失した霧島神宮址のある観光地だ。
水を補給した後、高千穂峰(1574m)への登りに備えてしばらく休憩する。
鳥居の向こうには、高千穂御鉢の稜線が吊り尾根のように見えている。(写真22)
鳥居をくぐり、宮址までぶらぶら歩いた。(写真23)
13時半、本日最後の登りを開始。
石畳の階段に始まり、やがて樹林のなかの山道に変わる。
樹林の切れたところから、御鉢本体の急登が始まった。
溶岩が風化して小さく砕け、ザクザクして歩きにくい。
砕ける前の岩や大きい石を選んで足を運ぶ。
滴る汗を拭き拭き1時間ガンバルと御鉢の縁に出た。
御鉢をのぞくと、底に石を並べて字が書いてある。(写真24)
火口壁からは所々噴気が立ち昇っているではないか。
『遊び心に命を賭けたか!』
背後には、中岳・新燃岳・韓国岳と越えてきた山が並んでいる。(写真25)
晴れてきたようだが、やや白ずんで見えた。
御鉢を半周した後、少し下って、高千穂本峰への登りが始まる。
残すは166mの登りであるが、少し登ると、砕けた溶岩はさらに細かく、さらに多くなった。
出した足はズズッともどる、込めた力は逃げていく。
設置された丸木の段々は、長いボルトを見せて転がっている。
『疲れたー!』気力が失せかけたころ頂上に着いた。
頂上からの眺めをちょっとだけ観賞して、小屋に向かう。
「今日は、今朝、韓国岳から電話した者ですが。」
「ようこそ。」
私より大分年配の林さんと犬が出てきた。
今日の宿泊者は私一人だと言う。
ザックを置いて外に出る。
石に腰掛、ぼんやり今日のコースを眺めていると、林さんが犬を連れてやってきた。
御鉢の見えるところへ移動する。
「まだ登って来るのが4人いるねー。登ってくる人間がいる限り旗は降ろせないのよ。」
「へー、あの旗は登山者への応援旗ですか?」
「山小屋が営業している証でもあるよ。」
突然、林さんの携帯がなった。
相手も地元の人らしく、何を話しているのかさっぱりわからない。
「今、池田さんが御鉢に着いたとこで電話してきた。今夜泊まると言ってた。」
「何人ですか?」
「聞かなかった。」
「今登って来ている4人も『泊めてくれ』と言ったら、人数増えますよ。」
林さんと共に御鉢に眼をやる。
西に傾いた太陽で人影がよくわからなくなっていた。
そうしている内に、4人が到着。
泊まらずに下ると言った。
高千穂峰の影が鋭角三角形をして東に伸びていく。
「あの影の先は、シーガイヤまで届くんだよ。」と教えてくれた。
4時半、池田さんが到着、2人連れだった。
林さんは旗を降ろし始める。(写真26)
沈む夕日を眺めたあと、全員小屋に入った。
林さんが、「山伏が持ってきたものだ。」といって、酒の一合パックを各人に、するめを2枚出して来た。
おはらいを受けた御利益のあるものだそうだ。
ランプの灯りの下、ストーブを囲み、するめをあぶりながら酒盛りがスタートした。
池田さんは都城(宮崎県だが薩摩言葉の地域)の人で、先々代からの常連らしく、話が弾む。
しかし、薩摩言葉はほとんどわからなかった。
11月5日(快晴)
5時、熟睡の後の心地よい目覚めだった。
カメラを持って外へ出た。
林さんもやってきて、「こんな天気は滅多にない。ここは名前のとおり霧のかかることが多い。ついてるね。」と言う。
6時半を回ったところで御来光が始まった。(写真27)
太陽が顔を出し切った後、北側に移る。
影高千穂峰から始まって、中岳・新燃岳・韓国岳・甑(こしき)岳・夷守(ひなもり)岳と霧島連山が朝日に映えていた。(写真28)
荷造りをして、7時20分3人に別れを告げた。
下りは御鉢を見て始まる。(写真29)
くだけた溶岩の小石はクッションになるが、靴に小石が入ってくる。
スパッツを着けるべきだった。
御鉢に着いたところで、コースと逆行し、左へ少し回って見る。
御鉢・中岳・新燃岳・韓国岳が重なるように見えた。(写真30)
御鉢を過ぎるともう見るべきものはない。
ひたすら下る。
8時半、高千穂河原に到着した。
大浪池登山口でもらった名刺が役に立った。
電話をすると。
「あの時のお客さんですか、ありがとうございます。30分で行きますから。」
『えっ!30分。』と思ったが、9時32分の霧島神宮発の「きりしま4号」に間に合えば問題ない。
8時55分タクシーはやって来た。
「お客さんは、どちらから来られたんですか?」
「大阪の堺です。」
「フェリーですか?」
「そう、今日も別府から大阪へフェリーです。」
「えっ!宮崎じゃないんですか?」
「えっ!宮崎からフェリーがあるんですか?」
「ええ、宮崎カーフェリーが大阪南港へ出てますよ。」
勉強不足だった。
9時20分霧島神宮駅に着いた。
列車は駅を出ると山間を行く。
20分余り走ると山間を抜け、都城盆地に入る。
左の車窓から高千穂峰が見えた。
地表に澱む不透明な空気の上に、高千穂峰上部が浮かぶ。
その黒褐色の姿は、両翼を広げ、天空に飛翔する鷹のようだ。
家並みの上に、田園の上に、林や川の上に、どこまでも見え続けていた。
(追伸)
宮崎で「にちりん12号」に乗り継ぎ、別府には14時19分到着した。
豊後竹田で味をしめた「楽チャリ」に乗って、思い出の地獄巡りをする予定だ。
窓口へ行って楽チャリをたのむ。
「今日は、すべて出払って、自転車は1台もありません。」
つれない返事が返ってきた。
バスで地獄巡り地域に向かう。
地獄ひとつひとつの入場料は「400円」一番印象に残っている海地獄だけゆっくり見ることにした。
35年前、家内と結婚する一年前、博多にいた長兄に車を借りて、阿蘇・別府と巡ったとき、
海地獄の前で(写真31)写真を撮った。
別府へ戻り、軽い夕食(とんこつラーメン)をとった。
別府港で乗船手続きをしていると、横から名前を呼ぶ人がいる。
なんと、森下さん、枯木さん、藤山君三人がにやにやしながら立っていた。
仕入れを済ませ、早々に乗船して窓際のテーブルを確保。
出港一時間前から盛り上がったのである。
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コメント
あの時の記憶は断片的で、厚狭で落ち合って以降、
黒木線の終点まで付き合ったこと。
ジーゼル列車の中から手を振ったこと。
一緒にSL写真を撮りに行ったこと。
兄貴の家に泊まったこと。
前後関係もわからない。
実のところ、韓国岳を下山した後、何処で会ったかも定かではない。
京町温泉に泊まったことも憶えてない。
しかし、京町温泉にユースがあったか?
2006-11-23 18:43 jiichan URL 編集
2006-11-22 23:28 kokumi URL 編集